六本松跡は、大磯丘陵西縁の曽我丘陵と称される地形の高まりを越える峠のランドマークである六本の古松があった場所である。曽我丘陵は大磯丘陵の最高地点(328m:不動山)を含む地形的な難所である。六本松跡を通る道は、その難所を最も越えやすい道である。ここからは足柄平野や箱根火山の眺望もよい。

古代千代台地は師長国の府中で、この地方の文化の中心地であったので、西からの旅人は皆ここに寄って、この道を、目指す坂東や奥羽へと向かったと推定(弓削道鏡の下向など)される。その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、上洛や富士の巻狩りなどにこの道を通り、いまも鎌倉山、将軍山また豪族中村氏がお出迎えした所を「大迎え」などの地名が残っている。また、この地の豪族が鎌倉に馳せ参じた鎌倉道でもあり、坂東三十三番観音の五番勝福寺から六番長谷寺に詣る巡礼道でもある。

芭蕉や蕪村のような有名な俳人も曽我村の風景を俳句に詠みました。地名の由来となった最後の松の大樹は、明治の終わり頃惜しくも長い一生を終っている。 

六本松跡の碑