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城願寺

城願寺は鎌倉幕府創設の源頼朝を助けた土肥次郎実平等一族の菩提寺です。

背後の城山は35~30万年前に活動した箱根火山外輪山を構成する湯河原火山の噴出物で、その溶岩を採掘した文献に残る箱根火山最古の丁場がこの付近にありました。

境内にある土肥一族墓所 の墓石は、この外輪山溶岩のほか、中央火口丘溶岩も使われているようです。

800年以上前にこの地の豪族、土肥実平が荒れ果てていた密教の寺院を一族の持仏堂とし、萬年山成願寺として再建しました。

その後、室町時代初期に臨済宗として再興、更に15世紀曹洞宗の寺 院として重興開山となり、城願寺と改名し、現在にいたっています。

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土肥一族の墓

城願寺本堂左方には、66基の墓石があり、土肥次郎実平一族の墓所となっています。

正面五輪塔の中央が実平、左が夫人で右が長男の遠平の墓と伝えられています。

土肥一族の墓所には嘉元2年(1304年)7月の銘のある五層の鎌倉様式の重層塔や、永和元年(1375年)6月の銘のある宝篋印塔をはじめ、塔身が球形をした五輪塔などの各種の墓型がそろっています。

このように一つの墓所で様々な墓型がみられるのは、関東地方では珍しく、神奈川県の指定文化財になっています。

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七騎堂

境内の七騎堂には、石橋山の合戦での敗戦後、源頼朝を追手の平家方から守り通した土肥実平等の木像が収められています。 しかし、終始行動を共にしていた実平の長男遠平は伊豆山近くまで来ていた頼朝の妻政子に、頼朝の消息を伝えに行ったので、七騎には含まれていません。このことは謡の「七騎落ち」では史劇的創作となっています。

 

ビャクシン

境内には土肥実平御手植えと伝えられる樹齢800年を超えるビャクシンがあり、国の天然記念物に指定されています。これは神奈川県内では最も樹齢が長く、垂直に伸びた幹の見事な姿は全国的にも稀で、神奈川の名木100選にも選ばれています。

 

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